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海に還る日
プロローグ
prologue

『命は海から生まれた。だから、いずれ海に還るんだ――』
静かな声音とは裏腹に、瞳を輝かせて振り返る。
そこで、目が覚めた。
途端に穏やかな波音が耳に飛び込んでくる。

あれから、すでに5年も経つ――
それなのに、『海』というフレーズに触れる度に
色褪せることなく、鮮やかに蘇る。
決して癒えることのない、忘れてはいけない痛み。
それが、2人が寄り添う理由。

血を流し続ける『高瀬 千晶』という傷痕――

 コポリ……
 自分の口から漏れた息が音を立てて、水面に向かってゆらゆらと揺らぐさまを見つめる。
 こうして水の中に揺らいでいると、何もかもが止まってしまったかのように感じる。
 生きるために必要な呼吸ができないはずなのに、苦しさは微塵も感じない。
 『海』は生命の源―『母』だという。とすれば、母親の胎内にいる赤ん坊が溺れないように、『海』でも溺れないのでは……。
(……そんなわけない……)
 雫(しずく)は諦めたように小さく笑みを刻むと、水面へと向かった。
「ふっ、はぁ……」
 ざばりと水面から顔を出すと、思ったより体が酸素を必要としていたらしく、息が荒ぐ。
 こめかみがずくずくと痛む。
 太陽に追われるように沈みかけている月を見つめながら、呼吸が整うのを待つ。
 そして、そのまま海岸へ向かって泳ぎ始めた。
 足が届く深さになり、そのまま立ち上がると、今までふわふわと漂っていた布地が途端に、体にぺったりと貼りつき、いささか不快な気分になった。
 とは言え、ベッドの傍に置いていた圭吾(けいご)のシャツを一枚、無造作に羽織っているだけなので、脱ぐのは躊躇われた。
 仕方ないと呟いて、鬱陶しそうに髪をかきあげた雫の視界に人影が飛び込む。
 遠目にもそれは5人ほどの男で、波打ち際に立ち、明らかに雫を見ている。
「ちっ……」
 雫は、ガラ悪く舌打した。

 濡れたシャツがその体にぴったりと貼りつき、豊かで形の整った胸のラインや細く引き締まったウエストからすらりとした太ももまでのラインを際立たせる。
 濡れて深い藍色になった布地が、首筋や脚の白い肌を強調する。
 男たちの瞳が獲物を見つけたハイエナのようにギラついた。
 男たちは元々、獲物を見つけ、それを強引に連れ込んで好きにできるように、邪魔をされない場所を探していた。
 そして、偶然見つけたこのプライヴェートビーチの下見に来ていたのだ。
 ざばざばと波を蹴り、男たちを無視して別荘に向かう雫(獲物)の肩を、にやけた男たちが掴もうと手を伸ばした瞬間。
「ここは私有地だ。出ていけ」
 冷たい声が、その手をぴしゃりと叩いた。
 一瞬、怯むが気を取り直し、その肩を掴んだ。
「そんな…」
 そんな冷たい事言わないでさ〜、と普段、嫌がる女たちを強引に連れ込むときと変わらない言葉を発しようとしたが、振り向いた瞳の鋭さに息を呑んだ。
「放せ」
 穏やかな、しかし抗えない声音に自然と手が離れた。
 すたすたと歩き始めた雫の背中をしばらく見送り、慌てて我に返った。
「すかしてんじゃねぇよっ!このアマっ!!」
 と、古びた怒号を浴びせようとする男たちに、雫は溜息をついた。
 1対1の闘い方は、空手の道場で教わった。
 複数の人間に囲まれたときの喧嘩のやり方は、圭吾と――
 そして、千晶に教わった。
(そういえば、まともなことは教わっていないな……)
 剣呑な光がその瞳に浮かんだ――。

出会い
encounter
「何、そんなに怒ってるんだよ。圭吾」
 高瀬 千晶(たかせ ちあき)は、ともすれば戸惑ったように傍らの男を見上げる。
 頭半分上にある端整な顔が不機嫌に顰められている。
 3日前から、この調子だ。
 千晶は、1つ歳上の自分の片腕―東條 圭吾(とうじょう けいご)が不機嫌な理由が思い当たらないのだ。
 他の側近たちは圭吾の不機嫌さに恐れをなし、下に降りているから、必然的にこの部屋にいるのは、2人だけということになる。

 今は倒産した会社の倉庫。
 管理者はおらず、壊された門は自由に出入りができた。
 できたが、普通の人間は入らない。
 『阿修羅』という暴走族のたまり場になっているから。
 青が強い紺色の特攻服に、銀色の刺繍でそれぞれの『言葉』と『阿修羅』の文字が施されている。
 それを身につけた少年たちと、化粧を塗りたくった取り巻き気取りの少女たちがたむろしていて、近寄りがたい。
 そんな― 一見、無節操に見える集団でも、それなりにルールがある。
 だだっぴろいフロアよりも半階分上にある、大型機械の操作室は総長と幹部、それに彼らに呼ばれた人間のみ、入ることが許された。
 千晶は別にそんなつもりはなかったのだが、下の連中が勝手にそう決めたのだ。

 千晶は立ち上がると、ドアに歩み寄りそっと内鍵をかけた。
 その意図を悟り、圭吾の眉根がますます寄せられる。
 千晶はくるりと振り返ると淫蕩な笑みを浮かべる。
 汚れを知らないような純白の特攻服が、するりとその肩から滑り落ちる。
 眼差しに艶が帯びてくる。
 秀麗な美貌が、女とは違った男を惹きつける色気を纏う。
「機嫌、直せよ。圭吾。せっかく、うるさい奴もいないんだからさ」 
 ギシ―
 千晶が圭吾の膝の上に座ると、パイプイスが抗議の悲鳴をあげる。
 構わず圭吾の首に腕を回し、軽く引き寄せる。
 口唇同士が触れるぎりぎりまで近づけると、そのまま圭吾を待つ。
 圭吾は仕方なさそうに軽く息をつくと、一転して喰いつきかねない勢いで柔らかな口唇を貪る。
 圭吾は元々、同性に興味はない。いや、今だって興味のきの字もないが、千晶だけは別だった。
 気まぐれで興味のない人間は歯牙にもかけない。
 冷たく整った顔立ち。
 そして、何よりも人を惹きつけるカリスマ。
 2年前―千晶が阿修羅に顔を出すようになった頃。
 圭吾は初めて会った時、『捕まった』と、何の根拠もなく、そう思った。
 それ以来、できる限り一緒に行動している。
 千晶が阿修羅に入るなり、その美貌と喧嘩の強さを前総長に気に入られ、瞬く間に幹部候補になった。
 ところが、幹部にはならなかった。
 正確に言えば、幹部になる間もなく、総長になった。
 賢明だった前総長の正治(まさはる)が、千晶のカリスマに気づき、早々に引退を決意。
 千晶を総長に指名したのだった。
 もちろん、不満を上げる者もいた。
 それが、副長の板垣 公介(いたがき こうすけ)だった。
 この男が、千晶の言う『邪魔者』だ。
 何かと文句を言い、千晶を引きずりおろそうとちまちまと画策している。
 千晶にとっては、尾に群がる蝿のようなものだが、うざったいことには変わりない。
 頭は悪いが、喧嘩は強かった。
 だからこそ、阿修羅の副長を一応は勤められた。
 しかし、5日前。
 突然に複数の人間に闇討ちされたらしく―あくまでも本人談だが―、肋骨2本を折られ、入院している。
 すでに千晶のものとなっている阿修羅のメンバーは、心密かにこのまま、公介が引退すればいいと願っている。

「んっ、け、いご…」
 口唇を離し、手早くボタンを弾いたシャツの中を手で弄る。
 千晶は快楽に素直だ。
 恥ずかしがることなく、むしろ快楽を極める時の自分がどれだけ人を惹きつけるか知っているから、それを利用する。
 だから、自分が欲しい人間にしか、体を開かない。
 まるで、高慢な娼婦のように。
 男でも女でも。
「けいご…もっと、つよく…」
 普段の冷やかな声など微塵も感じさせず、熱い吐息が胸に顔を埋めている圭吾の髪を撫でる。
 その求めに、無言のまま、雄弁な愛撫で圭吾が応える。
 白い肌に点々と紅い印が散り始める。
 敏感な体を持て余しながらも、圭吾の漆黒の特攻服を脱がせにかかる。
「うわっ!?」
「っ!」
 いつも生真面目そうにきっちりと特攻服を着ている無口な片腕を、早く乱してやろうと急ぎすぎた。
 服の袖を強引に抜こうと自分の腰に回った圭吾の腕をはずさせた瞬間、バランスを崩した。
 そのまま、床に叩き付けられそうになった体を圭吾が慌てて、それでも慌てた仕種は微塵も感じさせずに支えた。
「ふぅ…」
 安堵の溜息が口唇から漏れる。
 次の瞬間、その口唇からくすりと笑いが漏れた。
 圭吾もまた、口唇の端に小さく苦笑を浮かべる。
 千晶はするりと圭吾の腕からすり抜けると、色気のない事務机の上に腰をかけ、圭吾を誘う。
 圭吾はその脚の間に体を割り込ませ、もう一度キスから始める。
「ん…ふ……」
 貪るように口腔内を犯され、息ができない。
 思考があやふやになっていく。
「ふ…、おま、え、うますぎ……」
 荒ぐ呼吸を整えながら、千晶が言う。
「どこで、覚えたんだよ……」
 それには答えず、白い首筋をきつく吸い上げる。
 うっすらと赤みを帯び、あたかも花びらが散ったように見える。
「あ…ん、け…ご……。も、っと…」
 無口な片腕への、過去の追及はすぐさまに放棄し、快楽に身を委ねる。
「ん、ふぅ…あ、ん……」
 緩く扱かれ、そのじれったい動きに腰が揺れる。
 それでも、はぐらかすような愛撫を続ける圭吾に、千晶が焦れたように圭吾のジーンズの前に手を伸ばす。
 思った通り、そこは千晶の痴態に熱く昂ぶっていた。
 翻弄される熱に震える指先で、もどかしげにジーンズの前を開けようとする千晶に圭吾はしたいようにさせる。
「っ!千晶…」
 戯れ程度だと思っていた圭吾は、直に握られ、今度こそ慌てた仕種で腰を引いた。
「なに?イキそうなの?」
 蠱惑的な笑みを浮かべ、圭吾を見上げる。
 ちっと低く舌打ちすると、いきなり最奥へと指を突き立てた。
「っ!い、て…」
 竦む体を、腰を引き寄せて穿った指で乱暴にかき回す。
「ちょ、ま、てっ、けいご…」
 何とか圭吾の体を押して離そうとするが、がっちりと抱えられ、抵抗は封じられる。
 その間も、圭吾の指は熱く戦慄く内壁を、慣れた順に辿っていく。
「ひっ、あ、あっ!けいごっ……」
 たどり着いたそれを強く擦りあげると、千晶の躯がしなやかに跳ねた。
 自分の体の中のしこりを指先で弄られる。
 くりくりという振動(おと)を感じながら、どうしようもない熱が千晶の体の中を間断なく席捲する。
「やっ、うんっ、あ、ん、ダメ…」
 望んで理性をなくした千晶の口唇から脈絡のない声があがる。
 慣れた躯はすぐに圭吾の指を喰い締め始める。
 1本では足りないと内壁が催促し、圭吾は望まれるがまま指を増やす。
「ふ、ん……ぁん……け…ご…」
 千晶の先端から溢れ始めたものが、伝って圭吾の抜き差しする指に絡み、粘着質な音が無機質な部屋に響く。
「すごいな…3本全部飲み込んでるぞ……」
 圭吾が耳朶を軽く噛みながら囁くと、千晶の内壁が強く指を締め付ける。
「あ、あ、んっ…だ、め……け、ご……っやく……」
 焦れたように腰を揺らめかす。
 圭吾は慎重に指を回し、慣れたことを確認すると指を引き抜いた。
「あっ。ふぅ……」
 突然に異物感がなくなり、安堵の息をつくが、後孔は喪失に切なく喘いだ。
「あ…」
 再び甘い声があがったのは、熱く濡れたものが入り口に触れたから。
 入り口の襞が、今にも飲み込もうと収縮を繰り返すが、圭吾は焦らすように先端で擦るだけ。
 ほとんど快楽に溶けている思考回路の片隅に再び疑問符が出てきた。
「……けいご?」
 荒く息を乱しながら、圭吾を覗き込む。
「……何故、あの女に膝をついた?」
「!…そう、か…」
 圭吾が不機嫌な理由がわかった。
「お前は阿修羅のカリスマなんだぞ」
 そのカリスマがこともあろうに、1人の女の前で土下座をしたのだ。
 その上『結婚を前提にお付き合いしてください』と陳腐なセリフを吐いたのだ。

 一瞬、驚きに見開かれた漆黒の瞳。
 名門校である聖ルカ学院の中等部の制服を着ていた。
 グラビアなどで安売りしている『美少女』ではない。本当の『美少女』だった。
 少女は困惑した表情で、やはり驚きに硬直していた圭吾や親衛隊の面々を見渡していた。
 そして彼女によく似た―彼女を呼び出すために拉致していた―弟を帰すと、一転して鋭い瞳を千晶にあてた。
 その口唇が、答えを必要としない問いを呟いた。
『何故、下げる必要のない頭を下げるのですか?』と……――。
 あの千晶が一瞬言葉を失い、そのまま少女は立ち去ったのだった。

 妙に苛ついた。
 理由はわからない。
「何故、あの女に膝をついた?」
 もう一度問う。
 千晶はくすり、と笑みを漏らすと、圭吾の頬を引き寄せ口唇を重ねた。
「あいつが欲しいんだ…。女を落とすには、誠実さだろ?」
 らしくないことを、密やかに、睦言のように囁く。
 悪魔のそれと大差ない笑みを刻む口元に惹かれるように、口づけた。
 そして、溜息混じりに了承する。
「わかった。好きにしろ」
 言うと同時に、千晶を貫いた。
「あうっ!ば、かやろ……」
 突然の行動に悪態をつくが、躯はすぐに応え始めた。
 躯の奥底から湧き上がる熱く淫蕩なうねりに、身を委ねる。
 熱の奔流が体内を暴れまくる。
 それしか考えられなくなる。
 何もいらない、2人だけの極み。
 お互いがお互いしか感じない瞬間――。

「う…やべ……」
 慌てて特服で、前を隠しながらトイレへと走る少年。
 その背を見つめながら、溜息混じりで呟く。
「なんで…あんな色っぽいんだよ……」
 佐賀野 俊樹(さがの としき)、親衛隊長を担う彼は苦悩に満ちていた。
 立場上、部屋の入り口を離れるわけにもいかず、下肢の熱をうずかせる千晶の嬌声がいやでも聞こえてくる。
 わずかに、途切れ途切れに漏れるため、それはいっそう淫靡に聞こえる。
「はぁ……」
 知らず知らずに大きく息をついた。
 男が男に抱かれる――。
 他の人間だったら、嫌悪しか感じないだろう。
 しかし、千晶がそうだと知った時、それでも千晶の評価は変わらなかった。
 その程度のことで、千晶が堕ちることはなかった。
 むしろ、必然のような気がする。
 千晶は、男、女関係なく。『人』を惹きつけるのだ。
 喧嘩主体のチームである阿修羅は敵が多い。
 当然、総長である千晶が一番に狙われるのだが、それに臆することなく率先して先頭に立つ。
 ゴロ巻いている時に見せる壮絶な艶(いろ)を帯びる瞳。
「あれに魅入られたんだ」
 独り言は誰も耳にも入らず、空気に溶ける。
「俊樹さん!」
 突然、階下から呼ばれ、物思いは断ち切られる。
「どうした!?」
 親衛隊の少年が、緊張というよりも困惑といったような顔で、入り口の方を指差す。
「?ここ、頼む」
「はい」
 補佐の坂本 孝太郎(さかもと こうたろう)が、千晶の嬌声に頬を赤らめながら頷いた。

「あ……」
 入り口に1人の少女が周りの非友好的な視線を、一切無視して立っていた。
「先日はどうも……」
 丁寧に頭を下げる。
 サラっと黒髪が肩からすべり落ちた。
 確か、漆原 雫(うるしばら しずく)と言ったな――。
 俊樹もまた、困惑した表情で少女―雫を見やる。
「お知りあいですか?」
 何者か、いぶかしんでいた少年の1人が尋ねる。
「あ、ああ。俺じゃなくて、千晶さんのな」
「千晶さんの?」
 驚きの表情が面々に浮かぶ。そして次に、好奇の表情。
 取り巻きの女ならばいざ知らず、どうみても『暴走族』とのつながりなど感じさせない、『優等生』の彼女がどんな知り合いなのか。
「先日のお返事をと思いまして」
「あ〜〜。ちょっと待って。今、取り込んでて」
「……出直してきましょうか?」
「いや、えっと…」
 そこで、気づいた。
 何故、雫は千晶の居場所を知っているのだろう。
 あの時、千晶はどこの誰とは一切触れずにいた。
 でも、雫は千晶のたまり場であるここに来た。
「あんた、何でココを知ってるんだ?」
「……色々と調べましたので」
 儚い笑みを浮かべる。
 それは、直感だった。
 こいつは俺の手におえる人間じゃない。
 俊樹は無言のまま踵を返すと、奥へと戻った。

 ドンドン―
 スチール製のドアが叩かれる。
 快楽を極め、その疲労に微睡んでいた千晶がけだるげに体を起こした。
 圭吾がその肩に、特服をかけてやる。
「どうした?」
「すみません。あの、漆原 雫が」
 俊樹の言葉の途中で、千晶は立ち上がった。
「圭吾、連れてきてくれないか?」
「どうする気だ?」
「……あいつを阿修羅の『マスコット(お飾り)』にする」
「!反対だ。阿修羅は今までマスコットを置いたことはない。そんな弱みになることを」
「圭吾!」
 補佐の意見を遮る。
「俺が決めたんだ」
「……それは命令か?」
「いいや。お願いだ」
 一瞬、見つめあう。
「……わかった」
 何故か、不満はあったが千晶の願いには逆らえない。

「先日のお返事を、と思いまして」
 圭吾に連れられて、幹部しか入ることのかなわないとされている操作室に通された。
「圭吾」
 視線で入り口を示す。
 はずせとの指示。
 圭吾は軽く溜息をつき、部屋を辞する。

「圭吾さん!何なんですか?あの女……」
 部屋を出るなり、孝太郎が詰め寄ってきた。
「漆原 雫。聖ルカ学院、中等部の2年に在籍」
 これは、千晶が雫に頭を下げたあと聞いたことだ。
「そうじゃなくて。あの女をどうするつもりかって訊いてるんです!」
「……千晶は、彼女をマスコットにするそうだ」
「なっ!?」
 誰の目にも信じられないという思いが宿る。
(だろうな。マスコットを置かないと決めたのは、千晶自身なのだから)
「何だよ、それ!?納得いかねぇよ」
 孝太郎が吐き捨てるように言う。
 その反応に異論がある人間はいない。
 本来、千晶の意見を尊重し、みんなを宥める立場の圭吾も言葉が出なかった。
 自分の背にあるドアの向こうで、2人はどんな会話をしているのだろうか。
 彼女は千晶の言葉にYESと応えるのだろうか。
 千晶はもう、自分が要らないのだろうか――。
(そうか……)
 圭吾は、今日何度目かになる溜息をついた。
 苛つきの原因 ―― なんてことない、嫉妬だ。
 自分以外の人間が千晶の傍にくる。
 もしかしたら、自分以上に。
 その予感に苛ついている。

「圭吾」
 部屋の中からの呼び声が、物思いを打ち破った。
 みんなの不満と反対の視線を背に、部屋に入る。
「風当たりがきつそうだぞ」
 何かを言われる前に言う。
「だろうな。だけどな、圭吾。俺たちが出会ったのは必然なんだよ」
 肩を竦め、よくわからない言葉を噤み、そして、一見穏やかな瞳をした少女を見つめる。
(必然だと――?)
 それ以上、千晶が何かを語ることはなかった――。
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