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天使なんていない
2.それぞれの思惑
「藤堂 正則?」
「そう。関東極道の首領(ドン)と言われる藤堂 誠之助(とうどう せいのすけ)の孫だよ」
亘の部屋で過ごした3回目の夜。
こともなげに亘は言った。
「なるほど……。やくざか……」
考え込む龍一を、さりげなく、でも胸の痛みを抱えながら見つめた。
龍一を巻き込みたくなかった。
以前、正則は亘に手を出しかけた自分の手下のチンピラを殺したことがある。
誠之助がつけている世話役の加賀瀬 弥勒(かがせ みろく)が手を回して、表立つことはなかったが。
逆にそれが亘の最後の抵抗を封じた。

「……帰るよ」
「……うん」
食後のコーヒーを飲み干し、龍一は立ち上がった。
亘は、心臓を鷲掴みにされたような痛みを覚えたが、顔に出さないように極力耐える。
――そう。それでいい
心の中で呟く。
亘は知らない。
ドアに向かう龍一の瞳に強い決意が現れていることを。


ドアが閉められると同時に、亘は寝室に飛び込んだ。
ベッドにその身を投げ出すと、枕に顔を押し付けた。
くぐもった慟哭が、ひっそりとした部屋に流れる。
「……う、いちぃ」
たった3日。路地裏で拾ってから、過ごした時間は決して長くない。
それでも。
「…してる……。りゅ、いち。愛してるのにぃ……」
幼子のようにただ繰返す。

その時だった。
突然、ドアが荒々しく開けられる音と続いて複数の床を踏み散らす音が亘の耳に飛び込んだ。
ドカッ。
寝室のドアが蹴り開けられる。
涙に濡れた頬のまま、亘の動きが硬直する。
目の前には憤怒の形相の正則がいた。
1つの恐怖が亘を支配する。
龍一が出ていってから対して時間が経っていない。
まさか――。

「なんだ!?あの男は!?」
「ああ……――」
亘の肩から力が抜ける。
一番恐れていたことだった。
「――あの男を捕まえろ」
正則の命に取巻きたちが外へ走り出す。
「やめろっ!!」
その動きを止めたのは、亘の声だった。
(ほう……。いい目をする)
怒りに燃える紅蓮の瞳。
正則のすることを、いつもは冷めた目でみていた弥勒が感心する。
(ただの人形に命を吹き込んだのは、さっきの男か)
「なんだとっ!?」
「うるせえっ!あいつに手を出すな!!」
正則が気圧される。
その様子に三下のチンピラたちも息を呑む。
「き、さま〜〜!!」
振り上げた拳が亘の左頬を捕らえ、その体が飛ばされる。
痛みに意識が朦朧する。
(ふん。単純な男)
それでも、どこかに冷静な自分がいる。
正則は激しく抵抗を示した亘に対しての怒りに捕らわれ、すっかり龍一のことなど忘れていた。
「ざけてんじゃねぇぞ!誰のおかげで生きてると思ってんだっ!?」
殴り飛ばされ、力無くベッドに横たわる亘にのしかかりながら、その服を破りとっていく。
スウェット地のズボンと下着を一気にひきおろす。
亘の背筋がザワつく。
嫌だった。
龍一以外の男に触れられることが、たまらなく嫌だった。
「俺に触るな!!」
バシッ!
強く頬を張られ、頭の芯が揺らぐ。
体をうつぶせに抑えられ、双丘を割られる。
「やめろっ!!」
正則は怒りに滾る自分自身を取り出すと、それを亘の秘孔に押し当てた。
「ぐっ!」
くぐもった悲鳴を枕に押し当てて、声を漏らすまいと手でシーツを握り締める。
それが正則の怒りを増長させる。
根元まで突き入れられる。
激痛が体中を走る。
急な異物に吐き気がこみ上げる。
固く閉じたままだった蕾は切れ、皮肉にも流れ出した鮮血が潤滑剤代わりになり、荒々しい律動を手助けする。
「くぅ……」
嫌なのに、本当に嫌なのに、体が応えはじめる。
前は頭を擡げはじめ、秘孔は正則を締めつけていた。
「けっ!淫乱め!」
言葉が亘を傷つける。
忌まわしい体。
心は嫌なのに、苦痛のままでいたいのに、体は苦痛を快感にすりかえる。
でも!
(絶対、声をだすものか!!)
そう、心に決め、口唇を噛み締める、
鈍い音がして噛み破ってしまっても構わなかった。
体が揺らめくが、それでも従おうとはしない。
早々に正則が自分の中に果てるのを感じる。
ずるりと抜かれ、抱え上げられていた腰が力無く崩れる。
ほぅと息を緩め、再び来るであろう苦痛に備え、深く呼吸をする。。
ところが、予想に反して、第2波は来なかった。

「正則さん。ここまでにしたらいかがです?」
「うるせえぞ、加賀瀬。俺に指図するな!」
「ですが、お祖父様との約束の時間に遅れます」
「ちっ!くそじじいの誕生日など祝ってどうするんだ」
「そのくそじじいの権力をかさにきて、好き放題やってる奴が何をぬかす」
ぐったりと体を横たえながらも、その口調は今までの亘ではなかった。
暴力を恐れ、自分に奉仕することで機嫌とりをしていた玩具に図星をさされ、正則が再び手をあげるが、その手は弥勒によって抑えられる。
「正則さん。遅れます」
やんわりと抑えられているのに腕が動かない。
穏やかさの中に剣呑さが混じる。
背中がゾクっと震え、正則は慌てて腕を振り払った。
「3時間後に戻る。それまで、お前らはこいつを見張ってろ。部屋から出すな」
弥勒が命じ、チンピラたちは頷くのが精一杯だった。
正則は苦々しい表情を浮かべながらも、弥勒が促すまま部屋を出た。
それを目だけで追っていた亘と弥勒のそれが合う。
『逃げてみろ』
弥勒の目がそう言った。
――3時間やる。その間に逃げてみろ――
正則に続き、弥勒とチンピラたちが寝室から出る。
それを確認した後、亘はそのまま目を閉じた。
「逃げるって言ってもなぁ……」
逃げる場所なんてないのに。
自嘲気味に笑ってみる。
疲労が亘を睡魔が取り込んだ。
意識が薄れる中、呟いた名前は……――。


亘の部屋を後にした龍一は、とある場所に向かっていた。
龍一の住む街の郊外にある倉庫街。
その中の使われなくなった一角に龍一の目的があった。
門の前に10人ほどの少年たちがたむろしていた。
不審そうな目が龍一を見る。
少年たちが羽織っているものは、濃紺の特攻服。
銀色の刺繍は『阿修羅』と綴られていた。
それを確認し、龍一の口唇に笑みが浮かぶ。
『阿修羅』――この界隈で、いや、もしかしたら関東で最大を誇るかもしれない規模を持つ連合体のトップのチーム。
暴走族の間では、一番有名な名前である。

「なんだ、お前」
「総長に会いたい」
「ああ!?」
一気に場が殺気立つ。
メンバーとはいえ、下っ端の彼らは滅多に幹部を見ることはできない。
それを、この部外者は会わせろという。
「てめぇ、何様のつもりだよ!?」
「別に。雫さんの知り合いだ」
ぎょっと下っ端たちが身をひいた。
「し、雫さんの?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
突然の大物幹部の名前に、慌てて数人が走って倉庫の中に向かう。
残った少年たちも、おたおたと視線を彷徨わせる。

(う〜ん。雫さん、怖がられてるのかなぁ。それに、どうしても雫さんや樹の居場所を知りたけりゃ、最初からこうすればよかったんだよな)
結局、樹に対しては受身だけだった。
2人の行方がわからなくなった時も、探そうと思えばこうやって探せたのに。
「亘のためには、すぐに思いついたのにな」
微苦笑と共に呟いてみる。
不思議だった。樹以上に愛せる人間などいないと思っていたのに。

走っていった少年の1人が戻ってきて、龍一を中に招く。
そして、大型機械をコントロールするために作られた部屋を指し示した。
「ありがとう」
礼を言うと、その少年は頭を下げ、表に戻っていった。

「貴方ですか?雫さんのお知り合いとは?」
「そうです。あなたが総長ですか?」
穏やかに問われ、思わずつられた。
目の前には、思いのほか優しい顔立ちをした男がいた。
その口唇に苦笑が浮かぶ。
「いえ。僕は、参謀を務めさせていただいています、佐伯 潤(さえき じゅん)です」
「小野寺 龍一。雫さんとは幼馴染みだ」
「『阿修羅』は今現在、総長はいません」
初耳だった。とはいえ、雫から『阿修羅』について聞いたのは、5年前。
「あのね、龍ちゃん。私ね、『阿修羅』っていうチームの副長になったの」
あっさりとした一言のみで、詳しいことなど知らない。
ただ、樹を護るためにということしかわからなかったのだ。
「前総長の圭吾さんが引退した2年前からいません。次期総長と目されていた雫さんが辞退したからです」
「辞退?」
「はい。しかし、雫さん以外に総長になれる人間はいなかった」
「では、今は雫さんがトップなのか?」
「はい。雫さんが総長補佐という形で事実上のトップです。もっとも、下の人間は総長は雫さんだと思ってますが」
「……いいのか?部外者にそんな話をして」
「構いません。貴方のことは、雫さんから聞いています」
「何て?」
「自ら、喧嘩の仕方を教えた、と」
「……雫さんと連絡を取りたい」
「わかりました」
潤はそう言って携帯を手に持つと、慣れた仕種でダイアルする。
「……すみません、潤です。実は、小野寺 龍一さんがこちらに……あ、はい。替わります」
差し出される携帯を受け取る。
「雫さん、力を貸して欲しい」
それだけを言った。
『……わかった』
返された言葉もそれだけだった。
プツ。
電話が切れ、後は切断音のみを流す携帯を潤に返す。

雫との通話を切ってから、2人は一言も会話を交わさなかった。
冷たい緊張感があり、潤の取り巻きも誰も言葉を発することが出来ない。
その沈黙を破ったのは…
「相手は誰ですか?」
唐突の質問。
「兵を揃えますから」
龍一は一瞬躊躇う。
「龍一さん?」
「……龍一でいい。関東極道の首領と言われる藤堂 誠之助の孫、正則だ」
潤は意外にも、尻上がりの口笛を吹いた。
「大物ですね。確か、藤堂 誠之助は関東鷲賀会 藤堂組(かんとうしゅうがかい とうどうぐみ)の会長です」
「そうなのか?」
「もし、雫さんの協力が得られなかった場合はどうするのですか?」
「1人でやる」
「やくざ相手に?」
「何か、問題があるのか?」
本当に不思議そうな顔。
潤に笑みが零れる。
「確かに貴方は雫さんに育てられていますね。似てますよ」
「……兵を集める必要はないな。腕のたつのが5、6人ってトコロかな」
「そうですね。やくざ相手なら、裏工作をしっかりしてゲリラ戦でいった方がいい」
そう言ってから、潤がくすっと笑みを零した。
「何だ?」
「いえ……。実は貴方にお会いする前、ずっと貴方に対して嫉妬していたんです」
「嫉妬?」
「ええ。貴方は雫さんが自ら育てたと言ってましたから」
「そう、かもな。喧嘩の仕方はほとんど雫さんから教えてもらった」
「どうして?」
「雫さんに樹って弟がいるのは知っているか?」
「ええ。弟を護るために、前副長をのしたという話を聞いています」
「で、俺はその弟を好きだったんだ」
「では、今度も樹さんのために?」
「いや。樹の事だったら、雫さんがとうに動いている」
「なるほど」
「じゃあ、誰のためなの?」
突然、話に割り込まれる。
「雫さん」
龍一と潤の声が重なった。
取り巻きたちがいっせいに立ち上がり、頭を下げる。
「みんな、席をはずして」
部屋には、龍一と潤と雫のみ。

「久しぶり、龍ちゃん」
「初めて見た。雫さんの特服姿」
「そうだっけ?」
「うん」
雫が少し気恥ずかしそうに自分を見下ろす。
細身のブラックジーンズに胸にはサラシを巻いている。
そして、羽織っているのは――
鮮やかな緋色の特攻服。
左腕に銀色の糸で『散華』と刺繍されている以外、何の飾りもない。
必要ないのだ。
闇色の特攻服の群れの中。
咲き誇る紅蓮の華。
それが、『阿修羅』の『雫』の証なのだから。

「怒ってるの?龍ちゃん」
「え?」
雫の艶姿に見惚れていた龍一は、はっと我に返る。
その様子に潤が小さく笑う。
「樹も私も龍ちゃんに連絡しなかったから……」
「ああ…―おかけでボロボロになった」
そういえば、と苦笑する。
3日前まで、自分は不幸のどん底にいると思っていたのに……。
「でも、亘に会えた」
「コウ?」
「そう。ねぇ、雫さん。俺、亘が欲しいんだ」
まっすぐと雫の目を見る。
「……いいよ。あげる」
雫が嬉しそうに笑った。
そして、龍一の頬に手を伸ばす。
「ちょっと、くやしいかな」
「くやしい?」
「だって、結局、樹では龍ちゃんにそんな目をさせることができなかったじゃない」
「俺は今でも樹も雫さんも好きだよ。弟と姉貴みたいに」
「そうね。私も好きよ、龍ちゃん。弟だもの」
にっこりと微笑む。
そして、その目が鋭さを帯びてくる。
「潤」
振り返った雫の表情は『阿修羅』、総長補佐のそれだった。
ぞくり、と背中がわななく。
2年ぶりの『雫』だった。
そう。この女性(ひと)のこれを間近で見たくて、様々な手を使って参謀まで昇りつめたのだ。
潤の中に狂気にも似た歓喜が突き上げる。
とうとう、『雫』の傍で動ける。
知らず知らずに笑みが浮かんだ。
「相手は藤堂組だそうです」
潤の言葉に、くすくすと楽しそうに雫が笑う。
「潤。皆を集めて」
「はい」
部屋を出ていく潤の嬉々とした後ろ姿を見送る。
「龍一。あなたが指揮を取りなさい」
「……」
「『阿修羅』を動かしてみなさい。連中は容赦ないからね。納得できない人間には従わないよ」
「望ところだよ、雫さん。忘れないで欲しいな。あなたが俺を育てたんだ」
龍一が笑い、雫は笑みを深めた。

「藤堂 誠之助と藤堂 正則の居所を調べてよ。雫さん」
『阿修羅』の幹部を前に雫に命じる。
場が殺気立つが龍一は構わない。
「保護者に『息子さんをいただきます』と挨拶しなきゃ」
雫が声をあげて笑った。
「了解」
そして、次々と矢継ぎ早に指示を出す龍一に、反対する者は誰もいなかった。

――2度と、樹のように手放したりなどしなからな、亘。覚悟しろよ――
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