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黎明の王女
第一章 明確な陰謀 <3>
 ――時はさかのぼり、場所はフロスシャンテ城

「……嫌な空気だ…」
 男は、低く呟く。
「…時は、流れます」
 傍らの影がひっそりと言う。
「私の死は、あの子を目覚めさせることができるだろうか?」
「……」
「どうした?遠慮なく申せ」
「……はい。恐らく、無理でしょう…」
「ふむ……。では、問う。あれが目覚めるには何が必要か?」
「現実です。居心地のいい城が出て、あなたが引き起こした堕落を見せることです。死と隣合わせの世界を」
「……私は無能の王か?」
「はい。有能な王とは、武だけではだめですから。あなたは確かに武には秀でていましたが、国政には無関心でした」
「そうか…」
「ですが、無駄ではありませんでした」
「ほう…」
 すでに過去形になっている返事を気にするでもなく、男は振り返った。
「何故、そう思う?バディウス・カイル」
「水面下でこの国を蝕んでいた膿が表に出てきましたから」
 獲物を見つけた鷹のような瞳。
 男はその眼光に、満足そうに頷いた。
「あとは、任せる。私は疲れた」
 語尾に宿る疲れが男を一気に老けさせた。
 影は一礼すると、その気配を消した。
 男―フラリス王国第17代国王 ラズマ・アンネルは、そっと溜息をつき、手にしていた杯の中身を煽った。

 ――この国で最上級のワインを。

 そして明け方。
 ラズマ王の毒殺体が、朝の準備のため訪れた女官によって発見された。

************

「レオン、ジュリア」
 最後の1人を扉の向こうに見送り、そのままじっと扉を見つめていたナイルが振り返った。
「俺たちにまで行けを言うのですか?」
 その語尾は雪崩れ込んできた近衛騎士の足音にかき消された。
「……レオン、ジュリア。次の王を守ってください」
 つまり、ナイルを?
 いや。ジュリアはその裏に隠されたナイルの思いに気がついた。

「一体、何の騒ぎでしょうか?」
 おっとりとした口調でナイルが問う。
「第一王女、ナイル・ティア・アンネル様。第二王女、セイラ・シェイヌ・アンネル様。一緒に来て頂けますでしょうか?」
「……静かな生活を乱そうとする理由を述べて頂けますか?」
「お父上であられる王が亡くなりました」
「……」
 驚くと思っていた騎士は、ナイルの反応のなさに一瞬鼻白んだが、すぐに気を取り直して言葉を続けた。
「毒殺です。お2人をお守りするレオン・ユウザ・メディナの知り合いであるカシムという男が罪の重さに耐えかねず、神の御前で告白しました。あなた方に命じられたと」
「何だと!?」
 レオンの激昂した声が響く。
「真実を告白して頂きたく、ナイル様、セイラ様とレオン、君もだ。それにジュリア・ルーイエ、その他この城に仕える全ての人間に来て頂きたい」
 と言っているが、瞳が語っている。
 この理不尽な事を絶対に承伏するな、と。
 そして反抗し、反逆の罪人になれと。

 ――古の王族の亡霊たちが叫ぶ。
 ――受け継がれた王族の血流が熱く逆流する。
 ――お前の力は何かと問い掛ける。
 ――お前の存在意義は何か。

 ――そう心が叫んだ時。

「何が真実だと言うのですか?」
 湧き水の様に心に染み入りながらも、圧倒する声音で問い掛けたのは。
「セイラ」
 いつも姉の後ろか護衛の近衛騎士に護られていた汚れなき天使。
 父親の死を知り、泣き崩れるかと思われた天使は、しかし高潔な瞳で罪人たちを断罪する。
「フロスシャンテに向かえば真実がわかるというのですか?」
「は、はい。いいえ」
 闇の命を受けていた近衛騎士がその声音に翻弄される。
「……真実は決まっております。ナイル様、セイラ様。あなた方には死んで頂きます」
 その声を合図に一斉に剣を抜き放つ。
 敵も味方も。虚実も真実も。
 交渉役になっていた近衛騎士が突然指笛を吹き鳴らした。
 ザワッ
「!」
 王女2人と陰謀の間に立ちはだかったレオン、ジュリア、それぞれの得物を手にした取り巻きたちの脳裏に、一瞬の動揺が走る。
 目の前にいた近衛騎士は7人。
 取り巻きを含めた、しかも腕に自信がある者ばかりが6人いたのだ。
 王女2人を護るには十分だった。
 しかし、空気がざわめいた。
 指笛の合図に出てきたのは、どう考えても金で雇われ、人を殺めることに何の感慨も浮かばないか、もしくは快感すら覚えているかもしれない、殺人に長けたているだろう人間が、1…2……9人!

「……誇りを持ち、王家に仕える近衛騎士が王族に剣を向けるのですか?」
 ナイルの穏やかな声。
「……」
「……お答えください」
「私たちの王はジャン様です」
「……ガストン殿の言いなりになるしかない、あの幼い弟をですか?不憫な……」
「だからこそです。王家には新しい風が必要です。そもそも女性が王としての務めをはたすことは難しいのです」
「私はこの国の第一王女。しかし、それ以前にセイラとジャンの姉でもあります。2人を傷つける人間を許すわけにはいきません」
「ジャン王子の安全は保証します。しかし、反逆者のあなた方を見逃すわけには参りません。王族らしく、誇りを持って自害をなされてはいか」
 いかがでしょうか、と問い掛けようとし、言葉を呑んだ。

 誰もが思わず息を呑んだのは、穏やかな風情のナイルの剣呑な――
 そして透明な殺気。

「ジャンの安全?そうですね、体は安全。では、心はどうでしょう?私の聞いたところでは、怪しげな薬を使い、自我を崩壊させるとのことでしたが……」
 反逆の騎士たちに戦慄が走る。
 ナイルはどこまで知っているのだろうか。
 気づけば城に人の気配がない。
 ナイルが微かに笑みをたたえる。
「知っていましたよ、父は。あなた方の企みを。いずれにしろ、父は長くなかった。胸を病んでいたのです。ですから、既に次の王も決まっていました。私と父の間で」
「次の王はジャン王子です。気づいていますか?もう囲まれいるんですよ」

 一触即発の場。それを破ったのは――

「それがどうしたというのですっ!?あなた方は、ただ欲に溺れ、政局も見抜けない愚か者ですっ!!」
 ナイルの透明から紅蓮に変わった殺気。
 その右手から煌くものが放たれ、目の前の反逆の騎士の喉元を捕らえたのは、銀色のダガー。
 騎士はぐぅとうめき声を発すると、その場に崩れ落ちた。
 そして、その事態に気を取られている敵も味方も一切無視をしセイラのウエストを抱えると、いつの間にか手に細身の剣を持ち、それを振りかざしながら、『騎士の間』を出ていく。

「お、追え!」
 レオンやジュリアなどにだけ殺気を向けていた騎士たちがやっとのこと、事情を飲み込めた。
 それから半瞬おいて、やっとレオンたちが動いた。
 レオンとジュリアは2人を追いかけ、その他の人間は、敵を留めるために騎士たちの目の前に立ちはだかった。
「死ぬなよっ!」
「当然だっ!!」
 レオンの声に背中越しに答えながら、殺気を対峙させる。
 しかし、多勢に無勢。
 騎士たちはすぐにレオンたちを追った。
「ちっきしょっ」
 エドアールが1人の騎士の背中に短剣を投げたが、深手にはならなかった。
 レオンの取り巻きたち――ギガルアード、エドアール、オレグ、ルークは視線を合わせ、柱の影に隠れているセリアスに合図を送った。
「えいっ!」
 セリが投げた皮袋から、ふわっと何かの粉が舞い上がった。
「なにっ!?」
 思わぬ場所から投げ入れられたものに気を取られた隙に、男たちは粉を吸わないように口元を布で覆いながら、それぞれ別方向に走りだした。
 セリも近くを通ったエドと共に走り出す。
「ま、うげぇっ!」
 待てを言いかけ、粉を吸ってしまった刺客たちが一斉にのど元を抑えた。
 それが温かく湿った――例えば粘膜などに付着すると猛毒を吐き出すキノコの菌糸だということは知らないまま、刺客たちは絶命した。

 

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