back novel top next

 

黎明の王女
第一章 明確な陰謀 <4>
「くそ!どこ行った!」
「女の足だ。そう早く動けるはずがない」

 ナイルとセイラは自分たちの頭上に響く声に、息を殺した。
 獣道から逸れているとはいえ、少し注意を向ければ、身を隠しているこの窪地も見つかるだろう――。
 ぎゅっとナイルの腕がセイラを抱きしめ、セイラもまた姉にしがみついていた。
「おい!こっちに足跡があるぞー」
 遠くから響く仲間の声に、頭上の反逆者たちは足元の草を払いながら遠ざかっていく。
 2人は深く息を吐いた。

「お姉様・・・」
「・・・・・・セイラ。ここにいなさい」
「え?」
「私が兵たちを引き付けます」
「そんなっ。危険です」
「大丈夫。だって私、鬼ごっこ得意だもの」
 ニッコリと笑いかけるナイルの笑顔が今にも消えそうに儚げだ。
「お姉様」
 言いかけるセイラの唇に人差し指をあて、再び微笑むナイル。
「大丈夫。いい?日が暮れれば、兵たちも退くでしょう。そうしたら、東に――暁の方向に向かいなさい」
「東?」
「ええ。そしてレオンたちと合流しなさい」
「東のどこですか?」
 ナイルはゆっくりと首を振った。
「決まっていません。しかし、東に向かっていれば、いずれレオンたちが追いつきます」
「・・・・・・」
「大丈夫よ、セイラ。あなたを護る騎士たちでしょう?」
「そんな!お姉様も」
 その時、遠くから足音が近づく。
「行くのよ!セイラ」
 その言葉と同時に、ナイルの手刀がセイラの首筋にあたる。
「!!!!」
 ぐらりと視界が揺らいだ。
 額飾りが姉の指に絡まるのをぼやけた視界が捉える。
(だめ。しっかりしなきゃ!)
 急速に明度を落としていく風景の中、ナイルが走り出る。
 その音を聞きつけた兵たちがセイラの頭上を通りすぎる。
(だめ。そっちは崖だわ。お姉様・・・)
「追いつめたぞ!!」
 兵たちの歓喜の声が遠くに聞こえる。
(ああ・・・お姉様・・・)
 自由の効かない体がもどかしい。
 セイラはそのまま、意識を失った。

************

「追いつめたぞ!!」
 兵たちの声が森中に響いた。
「レオン、あっちだ」
 耳聡いジュリアが方向を見定める。
 2人とも、無言でそちらに走る。
 ――間に合ってくれ――
 城を飛び出た王女たちを見失ってしまった失敗が、心を鷲づかみにする。
 しかし、今は後悔している暇はないのだ。

 剣が交錯する音が、耳をつんざく。
「レオン」
 ジュリアが低く呟き、レオンは無言のまま頷いた。
 嫌な予感がする。
 自分たちの向かっている方向には、崖がある。
 断崖と言ってもいい高さと、その下を流れる急流。
 そこに追い詰められてしまったら――
 あまつさえ、転落してしまったら――
 冷や汗が背筋を凍らせる。

「あそこだ」
 視界に入った光景は――

 近衛騎士5人を前に、後ろには崖。
 追い詰められたナイルの姿だった。
 じりじりと足元が下がっている。
 ナイルの手には細身の剣が握られているが、防戦一方――。

「ナイル姫っ」
 レオンとジュリアの声が重なった。
 ナイルの視線がそちらに向いた。

 ――次の瞬間――

「っ!――」
 近衛騎士の剣が、ナイルの喉元を捉えた。
 剣を取り落とし、喉元を抑える指の間から鮮血が溢れる。
「ナイル姫っ――」
 レオンたちの姿を認め、向かってくる近衛騎士の向こうに、そのまま足元が崩れ、谷底へと吸い込まれていくナイルの姿――。
「どっけぇぇぇ――」
 レオンの剣が一閃し、一番先頭の近衛騎士を切り捨てた。

 落ちるさなか――
 ナイルが微笑みを浮かべ、その口唇が動いた――。

 後から来た、この光景を見ていた2人の近衛騎士が、谷底を覗き込む。
「落ちたぞ!死体を確かめろ」
「だめだ。ここは降りれない」
「首を切られてこの高さだ。死んだだろう」
「しかし・・・」
「死ねば、下流に死体が出る。とりあえず、ガストン様に報告だ」
 2人が、走り去っていく。

「レオンっ!!」
 それぞれ2人ずつ切り倒し、ナイルが落ちた場所へと――。
 しかし、足元には断崖と水煙の中に渦巻く急流のみ。
 優しい高潔な王女を飲み込み、何事もなかったかのように荒れ狂う流れ。

 思い出されるのは、いつも穏やかな微笑みを浮かべ安らぎを与えてくれたナイルの姿。
 王位を継ぐ者としての影での努力を一切表には出さず、妹弟を想い、レオンたちを温かく迎えてくれた少女。
 人に慈悲深く、自分に厳しく――。
 すべての闇に『許し』を与えるような存在だった。
 その少女の最期が――。

「神よっ!何故だっ!!」
 レオンが叫ぶ。
 何故、こんな無残な最期を迎えなければならないのかっ!!
 ジュリアは噛み締めた口唇が切れるのを感じながらも、慟哭を押し込めた。

 神を恨み見上げた空を、急速に暗雲が覆い始めていた。
 まるで、この国をこれからを暗示ているかのように――。

 

back novel top next