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黎明の王女
第一章 明確な陰謀 <2>
 セイラとナイルの住むシャスピアーヌ城は、一国の王女たちが住むにはいささか小ぶりである。
 しかも、王の住む――つまり政務の中心であるフロスシャンテ城から南に馬で一日、馬車ならば二日離れている場所にひっそりとたたずんでいる。
 しかし、豊かな木々と点在する小さな泉に囲まれたこの城を、セイラたちは気に入っているのである。
 レオン、ジュリア、それにレオンの取り巻きたちは護衛のため、あとは身の回りの世話をする最低限の使用人たちが出入りしていた。
 騎士として剣術に秀でているレオン、それにこの国の識者たちが誰も論破することができなかった頭脳の持ち主であるジュリア。
 将来、この国を支えるであろう二人を、ラズマ王が、最愛の側室セラスティアの2人の娘であるセイラとナイルの側にいることを命じたのは当然だろう。

「ミネア!」
「セイラ様」
 息を切らせながら走ってくる王女に、ナイルの部屋付の侍女が目を丸くする。
「どうなさったのですか?」
「あの……お姉様は、まだお部屋?」
 途端に、ミネアの顔が曇った。
「はい……」
 ミネアは知っているのだ。
 顔に傷を負って以来、ナイルが時々、無理をして笑っている時があることを。
「そう……」
 一瞬俯き、ためらう素振りを見せたがセイラは思い切って顔を上げ、扉をノックした。

「……?」
 返事が無く、セイラはレオンを見上げた。
 コンコン――。
 訝しげにレオンが扉を叩く。
 やはり返事は無い。
 無言でレオンとジュリアは頷きあうと、セイラとミネアを脇のどかせ、鍵が行く手を阻んでいる扉を蹴り破った。
 もの凄い音が、それほど広くない城じゅうに響き渡り、何事かと人が集まり始めた。

「ナイル姫!」
 レオンの呼びかけに返事はない。
 嫌な予感が背筋を這い登る。
 暗殺されているのではないか…。
 先日の件から過敏になっている神経がピリッと音をたてる。
 ジュリアが窓際に走り寄り、陽光を閉ざしている厚手のカーテンを引き開ける。

 眩しい光にさらされた部屋にナイルの姿はない。
 キィ――
 ジュリアの目の前の窓が微かに開き、軋んだ音を立てた。
 鍵を壊された様子はなく、恐らくナイル自身が開けたのであろう。

「ギィ!ルーク!全員集めろ!」
 レオンの激が物音の集まった取り巻きに向かって飛ぶ。
「どこに!?」
「『騎士の間』だ」
「わかった」
 走り出した2人に一瞬視線を流し、その後視線でジュリアに問う。どう見る、と…。
 ジュリアは無言のままテラスの下を覗き込むが、一瞬恐れた自殺はなさそうだ。
「……自殺ではないようだな。あと考えられるのは、拉致された。しかも自分で部屋を出てね」
「はずれです」
 突然の声がしたのは、テラスのすぐ横の木から。
「ナイル姫!」
「手を貸してくださいな、ジュリア」
「一体どうし」
 手を差し伸べながら尋こうとしたジュリアは、口調は相変わらず穏やかだが、血の気の引いたナイルの顔色に口を噤んだ。
「お姉様!一体どうしたのですか?」
 駆け寄ったセイラをナイルは無言のまま抱きしめた。
「お姉様?震えてるの?」
「……フロスシャンテから急使が来ます。レオン、ジュリア。この城の者、全て集めてください」
「はい」
 いつものおっとりとした口調ではなく、厳しい緊張した声にレオンは嫌な予感を覚えた。

「レオン、カシムがいない」
「いつからだ?」
「昨日の昼頃から姿が見えない。最近夜毎に出掛けていたから、たぶん女でも出来たんじゃないか?」
 『騎士の間』に集まったのは、メイドから本来城の中に入ることさえ許されない馬飼いまでいる。
 元々、あまり大きな城ではないので、人数はそれほどでもないが。

「ナイル姫。揃いました」
「……取り巻きが1人少なくないですか?」
「!……はい。カシムが見当たりませんでしたので」
「カシム……。栗色の髪で黒の瞳の?」
「はい」
「……ここへ戻る途中、斬りました」
 誰一人、反応できなかった。
 穏やかで虫も殺せぬ風情のナイル姫。
 確かに学問的、カリスマ的には問題なく次代の王と目されていたが、唯一、その優しすぎる性格だけが危ぶまれていた。

 ――そのナイル姫が人を斬った?

「ナイル姫、それは」
「その話は後程、詳しくお話します。今は急ぎますので。まず、端的に言いますと。王が亡くなりました」
 ザワめく周囲を視線で黙らせ、ナイルは続ける。
「正確に言えば、殺さました。私に」
「何だってっ!?」
 声を荒げるレオンをジュリアが制する。
「ガストン伯ですね」
「そうです」
「弟君であり、ガストン伯の甥であるジャン王子を王座につけるため、あらぬ事をでっち上げた……」
「さすが、ジュリア。話が早いですわ。お聞きの通りです」
 ふとナイルが窓に視線を流し、眉根を寄せた。
「……ゆっくりしている暇がないようです。私とセイラに父王殺害の疑いがかかっています」
「そんな……。お姉様、すぐにフロスシャンテに戻りましょう?私たちはそんな事していません」
「……セイラ。それが通れば私はこんなに焦りません。私たちをフロスシャンテへ戻すつもりなどないのです」
「王殺害の真実を知るために派遣した近衛騎士は、反抗したので仕方なく王女2人を斬り、しかし近衛騎士として王族に刃を向けた罪の重さから自害を図る。こんなところですか?」
 ジュリアの言葉に頷くナイル。
「この城に仕えていた者全てを殺めるつもりです。しかし、そんな事を許すわけにはいきません。皆さん、この城にあるお金になりそうなものを持って逃げてください」
「そんな!そんな事が通ってたまるもんですか!ナイル様。私は逃げなどしません」
 メイドの1人がそう叫び、皆が賛同の声をあげる。
「お願い致します」
「!」
 ナイルは膝を床につき、頭を垂れる。
「ナイル様……」
 王族が頭を下げる。その事実にどれだけ切羽詰まっているか、再認識した。
「わかりました。行きましょう。その代わりナイル様。必ず、必ず、生きてください」
「もちろんです」
 ニッコリ笑ったナイルに城の者たちは、それぞれ頭を下げ、続いてセイラに涙ながら礼をする。

 

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