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黎明の王女
第一章 明確な陰謀 <1>
「セイラ姫」
 レオン・ユウザ・メディナの声が、木々の隙間から暖かい陽光が射し込む庭に響く。
 硬い皮のブーツが下草を踏みしめるサクサクとした感触が心地いい。
 しかし、その感触を楽しむ余裕はなく、レオンは絶え間なく視線を辺りに散らす。
「セイ」
 セイラ姫と再び声を上げようとした時、誰かが後ろから肩を掴んだ。
 振り向けば、自分の乳兄弟で右腕のジュリア・ルーイエだった。
「ジュリア」
 レオンの声を、ジュリアは人差し指を自分の甘やかに整った口唇に当てて制する。
 口を噤んだレオンを伴い、小さな泉に向かった。
 ダークグリーンの瞳が、泉のほとりの木に視線を投げる。

 そこに少女はいた。
 どうやら暖かい陽射しという睡魔に取り込まれて、眠っているらしい。
 レオンはその逞しい肩を竦めて苦笑した。
 自分を冷や冷やさせている間にも、少女は心地いい寝息を立てていたのだろう。

 レオンは、このフラリス王国の騎士の中でも指折りの強さを誇っていた。
 レッド・ブラウンの髪を短く刈り上げ洗いざらしにしている。
 漆黒の瞳は常に闊達な光を帯び、精悍な体躯に、メディナ侯爵家の総領息子として奔放に育てられた明るい性格で、宮廷では女性陣の熱い視線を浴びている。
 最も、当の本人はそれを歯牙にもかけず、もっぱら自分の取り巻きと街で酒を飲み、気に入った相手――男にしろ女にしろ――一夜を過ごすという日々を過ごしていた。
 その自分がまさか、王女の護衛につく近衛騎士に選ばれようとは――。

 レオンはそっと足音を忍ばせ、少女に近づく。
 プラチナブロンドの髪を柔らかな風に遊ばせながら、少女は眠っている。
 ――フラリス王国 第二王女 セイラ・シェイヌ・アンネル――
 『天使の微笑み』と謳われる愛らしい少女。
 無邪気な性格が皆に愛される彼女は、今年16になった。

 始め、近衛騎士の任命に難色を示していたレオンは、この4つ年下の王女に強く惹かれた。
 それが一目惚れという恐ろしくも純情なものと気づくには、遊びが過ぎた男にとって時間がかかるものだった。
 恋心の伝え方を知らないレオンは、真正面からセイラに告げた。
 セイラは驚きながらも、嬉しそうに微笑んだ。
 そして、そっと囁いたのだ。
 ――私も、一目見たときから……――

 愛らしい口唇は軽く開かれ、心地よさそうな寝息をこぼしている。
 邪気のない寝顔。しかし、その口唇は、奪ってしまいたくなるほど、甘さを含んでいた。
 レオンはそっと膝をつき、頬にかかる髪を払ってやる。
 ふと瞳が開いた。
 吸い込まれそうに澄んだスカイブルーの瞳が、眠たげに2、3度瞬く。
「あれ?レオン?」
 水晶を打ったような涼やかな声。
「このような所でお眠りになっては、風邪をお召しになりますよ」
 レオンは優しく言い、手を差し伸べた。
 その手をごく自然に取り、ゆっくりとセイラは立ち上がった。
 小柄なセイラの頭は、レオンの胸の辺りまでしか届かない。
 そうなると必然的に、レオンと話す時はかなり見上げなければならない。
 レオンは主従としてではなく、愛しい者への優しさとして、腰を落としセイラを見上げる。

「あのね、お姉様にお花を差し上げようと思って」
 と言い、傍らの色とりどりの花が入った籠に視線を落とす。
 その間のちょっとした休憩のつもりが、寝入ってしまったのだろう――。
「ナイル姫に?」
「ええ」
「どこか、お加減でも?」
 いつもセイラを見守る様にそばにいる姉姫の姿が見えない。
 ジュリアが周りを見渡しながら、訊く。
 ふと視線をセイラに戻すと、じっとこちらを見ていた。
「セイラ姫?」
「ジュリアは、いつ見ても綺麗ね」
「ありがとうございます」
 あっさりと切り返した。
 ほっそりとした、しなやかな体躯に、女も羨む艶やかな美貌。
 絹糸のようなブロンドの髪は、サラサラと背中まで流れている。
 レオンより頭半分ほど背が低いが、それでも高いほうである。
 しかし、その美貌は常に怜悧な光を帯びている。
 優秀すぎるといっても過言ではない頭脳で、レオンのブレーンとして動いている。

「ナイル姫はどうなさったんですか?」
 ジュリアが話を戻すと、ふとセイラは少し顔を曇らせた。
「わからないの。今朝、朝のご挨拶にお部屋に行ったら、何かを考え込んでいらして……。朝食もお取りにならなかったの」
 セイラの姉姫である第一王女のナイル・ティア・アンネルは、華やかな雰囲気のセイラとは違い、大人しやかでおっとりとしている。
 ダークブラウンの髪にサファイア・ブルーの瞳。
 いつも優しげで静かな微笑みを浮かべている。

「考え事、ですか?」
「ええ」
「なんだと思う?」
 レオンは振り返り、自分の片腕を見た。
 事によっては、国全体のことになるかもしれない。
 そう警戒したのだった。
 しかし、セイラは違った。
「もしかして、またこの間のことで……」
 セイラの声が悲しみに曇る。

 数週間前――
 セイラ、レオンとナイルが近くの森を散策中、暗殺者に襲われた。
 レオンが護るべきセイラとナイルの間には、馬2頭分の間隔があった。
 暗殺者に狙われるのは、第一王位継承権を持つナイルなのはわかっていた。
 それでも、殺気を感じた瞬間、レオンが庇ったのはセイラ。
 愛している者だけは何に変えても護る。男の本能がそうさせたのだ。
 しかし、その結果。
 セイラ程の華やかさはないが、父方譲りの秀麗な顔立ちのナイルの左頬に、醜い剣傷を残すことになった。
 それ以来、ふとした時にナイルは考え事をするようになった。
 時々、部屋から出ないこともある。

「やはり、お顔の傷が……」
 近衛騎士として、護りきれなかったレオンを、ナイルは決して責めたりしなかった。
 むしろ、自分の妹を無傷で護ってくれたことに感謝すらしていた。
 しかし、17の少女にとって、顔に傷を負うことは、辛いことかもしれない。
 ナイルは、自分が王位を継ぐという責任の重大さを知っていた。
 もちろん、ナイルはその期待に答えるように、品行方正でジュリアに次ぐ秀才と名高い。
 ただ、やはり女の力では暗殺者と対峙するのは無理に近い。
 だから、近衛騎士であるレオンとその片腕のジュリアが付いているのだが、レオンとセイラが実は恋仲だということは、周知の事実。
 何かあれば、レオンが庇うのはセイラという予測は簡単につく。
 だからこそ、ジュリアが国内の識者を集めた集会のため不在だったあの日に暗殺者は来たのだ。
 間一髪、帰城したジュリアが間に合ったため命だけは守れたが、もし最悪の結果になっていれば……。
 この国の混乱は必須だった。

『その混乱を考えれば、これくらいの傷で済んだのですから』
 そう言って微笑んでいたが、やはり悲しみはあったのだろう。

「とにかく城へ戻りましょう」
 ジュリアの言葉に、2人は無言で頷いた。

 

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